「スポーツ鬼ごっこ」と「鬼ごっこのある町づくり」

〜多くの人たちの共有できるものをもとめて〜

一般社団法人鬼ごっこ協会
代表理事
羽崎 泰男



「たかが鬼ごっこ、されど鬼ごっこ」・・・
だれもが知っていて手軽にでき、身近な存在、そして、その価値と可能性の大きさを表しているものとして常に大事にしている言葉です。


日本人にとっては数少なくなった“共有”できるもの、それが鬼ごっこなのです。
人と人を結びつける共有物、それがコミュニケーションの原点でもあり、何かを作り出していく大きな原動力になります。
鬼ごっこの周りには子どもが集い、親が集い、祖父母が集います。
人づくり、町づくりの原点に立ち返ってみてはいかがでしょうか。


さて、鬼ごっことは何か、鬼ごっこの起源について良くきかれることがあります。
人間が生きるために獲物を追いかけたり、逆に追われたり、あるいは、生活の中では喧嘩をして追い回したり、どれをとってもごく自然に行われていたことがその姿だとすると、その答えにはあまり意味のないものになってしまいます。しかし、それではこの愛すべき「鬼ごっこ」に歴史的なロマンがなくなってしまいます。


そこで、まず、日本の歴史的な背景を“追って”みたいと思います。大丈夫です、歴史は逃げません・・・
平安初期、大晦日の宮中行事、「鬼やらい」(追な)に登場する方相氏が大内裏を走り回ることが、鬼をめぐる諸々の始まりのようにいわれているようです。その様子は私達が見慣れた鬼が子を追うという鬼ごっこを思い描くことのできるもので、鬼が強調されている難点はあるものの、古い鬼ごっこのひとつでもある隠れ鬼などにはオーバーラップする点があります。


一方、江戸時代に山東京伝の骨董集に登場する比比丘女(ひふくめ)があります。平安中期、天台宗の僧である恵心僧都源信が民衆に教えを説くときに、子を追いかけてきた鬼に対して地蔵菩薩が守るという形を使ったということなのですが、往生要集の真実はともかく、この「親」「子」「鬼」の三すくみは遊びの中に重要な位置を持っており、子どもたちの遊びとして自然に広がっていったことは十分に想像できることです。


さて、この比比丘女は「子とろ子とろ」として思った以上に受け継がれてきています。ここにお見せするのは江戸後期、浮世絵がひとつの文化を作っていた時期、安藤広重の描いた「燕」が「子とろ子とろ」をしているものです。広重という浮世絵師が描写していること自体が驚きですが、燕の表情の生き生きとした豊かなことに心をひきつけられます。


その「子とろ子とろ」も現代ではその遊びを知っている子ども達はほとんどいなくなってしまいました。平安時代から受け継がれてきた「親が子を守る」という鬼ごっこ、あるいは、地域を知り、人と人が触れ合うことが自然に行われていた遊びの代表格である鬼ごっこの姿が消えつつあることに危機感を抱いています。


遊びに関わらず、文化を伝承していくことは容易なことではありません。その時代の多くの発展要素が妨げていく原因となっていて、なかなか防ぎようのないものなのです。土からコンクリに変わっただけで、多くの遊びは姿を消していきます。だからといって、アスファルトの道路を土に返すことは不可能に近いものです。必要ものを残していくには、たとえ一歩引いたとしても、その時代の変化をとらえて、その力を利用していくことも時には必要になります。そんな考えの中で生まれたのが「スポーツ鬼ごっこ」です。スポーツ偏重、ゲーム・仮想空間、簡単・単純・・・一方、実はアナログタッチで人と触れ合い、動くことに餓えている現代の子ども事情を考えると鬼ごっこをアレンジしていくことは可能なことです。姿を消してきた陣取り系鬼ごっこはスポーツの原点であり、スポーツ鬼ごっこの原型でもあります。一時代前の子ども達はあきらかにこの遊びを通して体力をつけ、社会の基礎的秩序を学んだはずです。スポーツでありながら、遊びのもつ“したたかさ”“たのしさ”“寛容さ”“ガキ大将と仲間”、これら懐かしい魅力的な要素を含んだスポーツ鬼ごっこは思った以上に子ども達を引きつけています。

2011年3月11日の東日本大震災は色々なものの原点を見つめなおす機会となりました。人と人のかかわり、何が大切なのか、町というのはどうあるべきなのか・・・「鬼ごっこのある町づくり」には、そんなことへの答えを含んでいます。かつてどなたかが「コンクリートから人へ」という表現でこれからの日本の姿を述べたことがあります。いつの間にか立ち消えてしまいましたが、スポーツ界を見渡すとこのことがそのまま当てはまります。多くのスポーツ施設は時に静けさと冷たさを漂わせ
ます。町づくりにスポーツが一役買うとその影響もあるはずですね。


「鬼ごっこ」というだれもが楽しめるものをするためには・・・そう考えると温もりのある町づくりがおぼろげながら思い浮かびます。親が子を守る、子同士が協力するなど鬼ごっこのエキスが加わるその姿はより鮮明になってきます。


「鬼ごっこ」「スポーツ鬼ごっこ」「鬼ごっこのある町づくり」この一連のことばは私達の力で出世魚のごとく成長させていきたいと考えています。


羽崎 泰男

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